ショート動画などの過剰な刺激は脳を麻痺させ、集中力や大切な人との時間を奪います。刺激を抑えて目の前のことや家族と深く向き合うことで、本質的な心の平安と温かい人間関係を取り戻せます。今すぐスマホの使い方を見直し、豊かな時間を取り戻しましょう。
「ドパガキ」になっていませんか?
――刺激ばかりを追う脳が、幸せを感じにくくする
最近、「ドパガキ」という言葉を知りました。
なんとも品のない言葉ですが(笑)、なかなか本質を突いている言葉なのかもしれません。
「ドパガキ」とは、「ドーパミン中毒のガキ」を縮めたネットスラングで、ショート動画やSNSなど、短時間で次々と刺激が入ってくるものを追い続けてしまう状態を表す言葉として使われています。
でもこれは、子どもや若者だけの話なのでしょうか?
大人のあなたも、スマホを開いたら、気づけば30分。
何もすることがないと、ついSNSを開いて時間を浪費していませんか?
テレビ画面で映画を見ながらも、スマホ画面を触ってしまい、集中できないし、落ち着かない。
私たち大人も、知らないうちに「刺激がない時間に耐えにくい脳」になっているのかもしれません。
スマホ・SNS・ショート動画で「刺激がないと落ち着かない」
刺激には、とても便利な役割があります。
不安なときにスマホを見ていると、その間は不安を感じずに済むんですよね。
次から次へと情報が流れて来るのを目で追っていれば、一人でいる孤独感が薄れたり、
向き合わなければならない現実を忘れることができます。
刺激は不安を紛らわせてくれるし、暇も埋めてくれる。
そこが厄介なのです。
悩んでいる時ほど手軽な刺激は魅力的です。
夫婦関係がうまくいかないとき、家族の問題をどうにかしなければならない時、
私たちは「考えなくて済むもの」に逃げ込みたくなります。
カウンセリングをしていると、人は苦しい問題を抱えているときほど、「本当に考えなければならないこと」から離れるために、別の何かで心を埋めようとすることがあります。
それは弱さではなく、自分を守るための行動でもあります。
ただ、その状態が長く続くと、どうなるのでしょうか?
- 目の前の人の話をじっくり聞く時間も失う。
- 静けさの中で、脳を休める時間も失う
刺激によって得ているものがある一方で、気づかないまま失っているものもあるのです。
ドーパミンは「幸せ」よりも「もっと欲しい」に関係する
ここで、ドーパミンについて少し正確に知っておきたいところです。
ドーパミンはよく「幸せホルモン」「快楽物質」のように説明されますが、それだけではありません。
研究では、ドーパミンは単純な「気持ちよさ」そのものより、「それが欲しい」「そこへ向かいたい」という動機づけや、報酬を予測して学習する仕組みに深く関係すると考えられています。
刺激の強いものを見れば見るほど幸せになる、という話ではない。
ここに注意が必要です。
ショート動画を追いかけていて
気がつくと、「楽しんでいる」というより「やめられない」に近い感覚に陥っていることはないですか?
また、通知が入るだけで集中を乱され、スマホを操作していなくても、通知が入るだけで本来やろうと思っていたことを忘れてしまうこともあります。
一つのことに集中する。
本を読んで、文章の世界に入っていく。
一本の長い映画を集中して鑑賞する。
誰もスマホに触らずに、家族の会話に夢中になる。
こういう時間には、ショート動画のような刺激はないかもしれません。
でも、意識があちこちに飛ばされることがないため、
一つのことを深く理解したり
感じたりすることができるのです。
集中とは、仕事や勉強の話だけでなく、
自分の人生をちゃんと味わうために必要な能力でもある。私はそう思います。
刺激を減らして「集中できる脳」と人間関係を取り戻す
では、スマホを捨ててしまえばいいのでしょうか。
そんな極端なことをする必要はありませんし、現実、無理ですよね。
必要なのは、刺激をすべてなくすことではなく、
減らす努力をすることです。
たとえば、本を読むなら、スマホを横に置いたままではなく、別の部屋に置いて20分だけ読む。
散歩に出るなら、ずっと画面を見ながら歩くのではなく、風や空や木を眺めながら歩いてみる。
1日の中で自然に触れることが、
心の平安を取り戻す一番効果的な方法ということもあります。
そして何より大切にしたいのが、人とつながる時間ではないでしょうか?
人間にとって、人から受け入れられることや、気持ちをやり取りすることも大切な「幸せの報酬」です。社会的なつながりは、自己肯定感には欠かせないのです。
SNSで100人から「いいね」をもらうことと、一人の人と一時間じっくり話すこと、あなたはどちらが価値があると思いますか?
夫婦でコーヒーを飲みながら話す。
子どもの話したい話を、ゆっくり向き合って聞く。
大切なのは、顔も知らない100人なのか?
それとも家族なのか?と問われれば、答えは決まっていると思います。
なのに私たちの時間の使い方は、
顔も知らない100人、いや、もっとそれ以上の人に向けて、空費してしまっているとも言えるのです。
家族との会話や一緒にいる時間には、数秒で次へ切り替わる刺激とは違う、ゆっくり育つ喜びがあります。
私は家族関係の相談に長く関わってきましたが、人間関係の問題は本当に手っ取り早く答えが出るものではありません。
ショート動画を見て、どうにかできると本気で考える人はいないと思いますが、
それでも短絡的な共感や慰めの快楽に、逃げてしまう人は増えているのです。
時間の積み重ねの中でしか生まれないものが、この世界にはある。
そのことは、覚えておかなければなりません。
愛も信頼も、「早く結果が出るもの」ではないのです。
現代は、何でも速くなりましたね。
動画も短くなり、答えもすぐ検索でき、不安は絶え間のない刺激が麻痺させてくれる世界がここにあります。
けれど、人間の心は高速化できるのでしょうか?
ゆっくり本を読んだり、
音楽や絵画を鑑賞したり。
自然の中を歩いたり、
一つの仕事に没頭したり。
誰かとじっくり向き合って
話す時間や
何もしないまま、一人でしばらくぼんやりする時間。
そんな一見「何も起きていない時間」の中に、私たちが失いたくないものがたくさんある気がします。
ドパガキという言葉を知って、
私たちが本当に求めているのは
刺激がなくても、ちゃんと幸せを感じられる生活なのではないか?と思いました。
「最近、何もしていない時間が苦手」
「本を一冊読むことができない」
「家族と一緒にいるのに、ずっとスマホを見ている」
もしそんな変化に気づいたなら、自分の時間の使い方を見直すサインなのかもしれません。
そこから本当にほしい温かい人間関係が、紡がれて行く気がするのです。

