夫の不倫に耐えることが美徳だった昭和の時代は終わりました。令和の妻に求められるのは、我慢ではなく自分の人生を自力で選ぶ強さです。辛い不倫の苦しみから心を置き去りにせず、離婚・再構築・保留の中から自分らしい生き方を選択する考え方を解説します。
###夫の不倫で傷つく妻は、なぜ今もこんなに多いのか
これだけ時代が変わって、女性の生き方も自由になったのに
それでも、夫の不倫で傷つき、心が死んだようになる女性は、今もたくさんいます。
眠れなくなる。
食べられなくなる。
何をしていても夫と相手女性のことばかり考える。
そして自らの心が、
夜叉のような憎悪に変わる。
夫の不倫が終わっても
その後長年に渡り
「もう終わったことなのに、どうして私は立ち直れないんだろう」
そう自分を責めている人も少なくありません。
不倫された妻が傷つくのは、単に「他の女性を好きになられたから」だけではありません。
自分が信じていた人から裏切られたという体験。
それが何よりショックなのではないでしょうか?
私自身、夫に不倫されてその時はじめて
「不倫されるのは、こんなに苦しいのか」
と実感しました。正直、他人事の時は、ここまでとは思っていませんでした。
ドラマや歌謡曲の歌詞の世界で、何となく「不倫」ということがあるとは知っていました。
いざ自分の現実になってみて、
こんな辛い世界だったとは、
想像したこともなかったのです。
###昭和歌謡には、なぜ「不倫された妻の歌」が少ないのか
昭和の歌謡曲が今でも時折、
テレビやSNSから流れて来ることがありますね。
そこで、少し不思議なことに気付きました。
妻のいる男性を愛した女性の、不倫の歌はたくさんあるのに、
夫に不倫された妻の心情を代弁する歌は、ほとんどないのです。
一体それは、どうしてなのでしょうか?
妻のいる男性を愛する女性の気持ちを、切なく美しく歌う曲では、
『恋におちて』や
テレサ・テンの『愛人』が大ヒットしたので、すぐに頭に浮かびますよね。
許されない恋や、会えない苦しさ。名曲として何度も歌われてきましたが、当時のサレ妻さんたちは、どんな気持ちで聞いていたのでしょう?
こんなにも、愛人側の歌は流行るのに、
夫に浮気された妻の心情を真正面から歌った曲は
『3年目の浮気』くらいです。
この曲も深刻というより、どこかコミカル。
それも「大目に見ろよ」と夫側が堂々と言っている。現代では考えられないですよね。
この感覚がまかり通っていたのが、昭和の時代だったのでしょう。
「妻は男の浮気くらい大目に見る」
「最後に家庭へ戻ってくればいい」
「妻なら騒がず家庭を守る」
という役割が、昭和の妻には求められていたのかもしれません。
愛人は“恋する女”として泣いてよいのに、
妻は“家庭を守る女”として耐えることを求めらる。
妻は、不倫される苦しみを表に出すことさえも、美徳に反する。
そんな風潮さえ昭和にはあったのだと思います。
###令和の妻は、もう不倫に耐えなくてもいいのか?
時は流れ、今は少しずつ世論は変わりました。妻のいる男性を愛している女性の心情を、誰も美化しなくなりました。
夫に不倫された妻は、
「つらい」
「許せない」
「私は傷ついた」
と口にしてもいいし、妻から離婚を言い渡すケースも珍しくなくなり、離婚件数も増えました。
けれど一方で、やはり変わっていない部分もあります。
それは、夫は相変わらず不倫をするという事実です。
昭和より令和のほうが不倫が増えたのか、減ったのかは、統計だけでは見えて来ません。
ただ、昭和には表に出なかった妻の苦しみが、令和になって語られるようになり、芸能人の不倫の糾弾という形でも、表出していることは確かなことだと思います。
そして今は、不倫された妻側に、複数の選択権があるとも言えます。
「不倫なんかする夫はいらない」
と離婚することもできる。
また、夫婦関係の在り方を見直して、再構築の道もある。
そして、すぐ答えを出さない、という選択もできるのです。
一番大きく変わったのは、
不倫で傷ついた自分に、「耐えなければならない」と言わなくていいことです。
今は、弁護士もいればカウンセラーもいます。味方になってくれる相談場所が大きく開かれています。
昭和の妻たちは、たくさんのことを飲み込んできたんですね。
でも令和は、
「私はどう生きたいのか」
を考える時代です。
夫が戻るかどうかだけではなく、
自分はどんな夫婦でありたいのか。
どんな毎日を送りたいのか。
これからどんな自分でいたいのか。そこが大事なのです。
不倫されたからといって、妻の価値が下がったわけではありません。
昭和の妻が耐える強さだとするならば、
令和の妻に必要なのは、
自分の心を置き去りにせず、自力で人生を選び取る強さなのだと思います。

