発達障害の育児がつらくて限界を迎えているお母さんへ。綺麗事の母親像や呪縛から心を解放し、孤立を避けて信頼できる支援者とつながるための現実的な向き合い方を、きょうだい児の視点から解説します。
発達障害の子どもの育児が大変すぎて、精神的に限界になる時
発達障害のある子どもを育てていると、
「どうして私なの?」
「この大変さが一生続くの?」
「もう逃げたい」
そんな気持ちになることがあると思います。
思い描いていた子育てとは、まったく違った。
外出するだけでも全神経を使って、ヘトヘト。
学校や周囲への説明に追われ、将来を考えると絶望的になる。
中には、子どもから毎日のように暴力を受けながら、「障がいだから仕方ない」と傷だらけになって暮らしておられる方もいらっしゃるかと思います。
お母さん自身が精神科へ通い、薬を飲みながら、どうにか今日を回している…ということあるでしょう。
そんなときに、
「子どもは、お母さんを選んで生まれてきたんだよ」
と言われて、無性に腹が立ったと話している方がいました。
選んでくれたのだから受け入れなさい。
あなたなら育てられるから、この子が来た。
そう言われているようで、苦しさを理解してもらえないばかりか、逃げ道まで塞がれるように感じた、というんですね。
私は、そう思って、当然だと思いました。
「この子は私を母として選んで生まれて来た」
という言葉を聞いて、
我が子がより愛おしく、心が温かくなるのなら、信じたらいいと思います。
けれど、その言葉がお母さんを苦しくさせるのなら、信じる必要は全くありません。
それを言った人は、ただそう思っている。
ただ、それだけのことです。
人は、それぞれ自分が信じたいことを信じながら生きています。
だから、他人の信念まで背負わなくて大丈夫なんです。
「子どもを愛せない日がある」
「障がいを受け止めきれない」
「普通の子育てをしている人が羨ましい」
そんな感情を持っていたとしても、
悪い母親ではありません。
限界まで頑張っている人に、美しい母親像を押しつけることは、支援ではないと私は思っています。
きょうだい児として見てきた、障がい児育児と家族の孤立
私には、知的障がい、自閉スペクトラム、統合失調症の姉がいます。
私は親ではなく、きょうだい児なので、障がい児の親の苦しみを、すべて分かっているとは思っていません。
私は四人の子どもを育てましたが、四人とも健常児でした。それでも、四人の子育ては大変でした。
子どもは、一人ひとりまったく違いますよね。
同じように育てても、同じようには育ちません。
まして、発達障害や知的障がいのある子どもの育児には、経験した人にしか分からない困難があると思います。
けれど、きょうだい児として、障がいのある家族と暮らす大変さは、何十年も家庭の中で見てきました。
以前、母が幼い姉を育てていた頃の育児日記が出てきたことがあります。
そこには、姉をどう育てればいいのか分からず、悩み、傷つき、葛藤し続ける母の姿がありました。
大人になった私が読んでも、胸が詰まりました。
日記の中の母は、いっぱいいっぱいでした。
父は助けてくれなかった。
母は、父が亡くなって二十年以上経った今でも、その恨みを抱え続けています。
周囲から投げかける言葉に、たくさん傷ついてきた積み重ねの中で、母は、
「もう誰も信じない」
と、心のシャッターを下ろしてしまったのではないかと思います。
けれど、妹である私から見ると、周囲は悪意のある人ばかりではありませんでした。
福祉に携わる人の中には、本気で姉を気にかけてくれた人もいました。
学校の先生の中にも、姉の将来を思い、親身になって支援学級を勧めてくれた人がいました。
しかし、傷つきすぎた母には、その言葉さえ、
「人の娘を馬鹿にしている」
としか受け取れなくなっていたのです。
その結果、母は姉の障がいを最後まで受け止めきれないまま、老人ホームへ入りました。
今、姉に関する多くのことを担っているのは、妹の私です。
母がもう少しでも人を信じることができていたら。
助けようとしてくれる人と、傷つけようとする人を分けて見ることができていたかも知れません。
そして姉の人生も、
きょうだい児である私の人生も、もう少しだけ幸せなものになっていたかも知れないと思うのです。
人を信じられなくなった母を、誰も責めることはできません。
ただ、傷ついたからといって、すべての人に心を閉ざしてしまうと、本来必要な支援が家族の中に届かなくなる…それは現実として起こり得ることです。
結果、母だけでなく、障がいのある姉も、そのきょうだいである私も、孤立が深まることになりました。
発達障害の子どもと自分を守るために、信頼できる支援者を。
この世界には、いろいろな人がいます。
障がいのある人を見ようとしない人。
無視する人。
心ない言葉で傷つける人も、残念ながらいるでしょう。
けれど、私はこの世の中、そういう人ばかりではないと思っています。
障がいのある人を一人の人間として受け入れ、純粋に大切に思える人もいます。
お母さんとお子さんの両方を大切にしてくれる人もいます。
相談したときに、お母さんを責めることなく、
理想論を押しつけず、現実にできることを一緒に考えてくれる人もいます。
お子さんの、その子らしさを見ぬいて、可能性を引き出してくれる支援者も
この世の中には、存在します。
お母さんの限界をわかってくれる人も、一人や二人ではないでしょう。
この世界には、いい人、優しい人、愛がある人、いっぱいいるのです。
誰かを信じることは、時に勇気が必要かも知れません。
一度傷ついた経験があると、簡単に心が開けなくなって当然です。
それでも、
少しずつでも、信頼して関係を作ることを諦めないでほしいな、と思います。
私は今、姉に関することを担っています。
母から丸投げされたという現実だけを見れば、「仕方なくやっている」と見られるかもしれません。
けれど、私自身は、それだけではないのです。
私は姉と真心で向き合いたい気持ちでやっています。
私がきょうだい児として生まれたのにも、意味があるのだと感じています。
だから、投げ出さずに向き合いきりたい。
そして、同じような限界を感じている家族の、味方の一人になりたいのです。
母のように心を閉ざして、孤立する家族が増えてほしくない気持ちがあるからかもしれません。
どうか
自分と子どもの味方になってくれる人に出会うことを諦めないでください。
お母さんが世界を信じれば、お子さんの世界にも、家族の世界にも、きっと素晴らしい出会いが用意されると思います。
苦しんでいるのは、自分一人だけではなく、みんなで人生の幸せを創造して行ける未来が、きっと見えて来ますから。