家族に悩む方へ|義務から愛へ変わる親子関係と自分の生き方

コラム

家制度やコントロールから解放され、親の期待ではなく自分の幸せを選ぶ時代へ変化しています。義務や役割から解放され、お互いの幸せを願う「新しい家族の形」と自分らしい生き方のヒントを解説します。

「親孝行が苦しい」毒親に苦しむ今の世代

「親には感謝しなければいけない」
「育ててもらった恩は返すもの」
「家族なんだから助け合うのが当たり前」

こうした言葉を聞いて、素直にそうだよねと思える人もいれば、
胸が苦しくなる人もいるかと思います。

最近は「毒親」という言葉も、すっかり一般的になりましたね。

親の言葉や態度によって自信を失ったり、
親の期待に応えられないと、強い罪悪感を抱いたり、
大人になってから生きづらさを抱えている人は、少なくありません。

昔だったら「親の言うことをよく聞く、いい子」と評価されていた人が、大人になってから
「私は自分の人生を生きてこなかったのかもしれない」
と気づくのです。

でも、これは単純に、
「昔の親は間違っていた」
「今の親子関係の価値観の方が正しい」
という話ではありません。

親子関係だけではなく、もっと長い時間軸で『家族』そのものを見てみると、今起きている変化がよく見えて来るかもしれません。

日本では、武士社会から続く長い歴史の中で、「自分がどう生きたいか」よりも、「家をどう守るか」が優先される時代が長く続いてきました。

家を守り、家名を残し、次の世代へつないでいくことが大切だった。それは、恐ろしいほど絶対的なことだったのです。

その価値観は時代とともに少しずつ形を変え、親孝行や家族への責任も、この100年で大きく変容して来ました。

そして今まさに、その長い歴史の中で当たり前だった家族観が、大きく揺れている真っ最中のような気もします。

家族より個人を大切にする時代への変化

かつての結婚は、好きな人と一緒になるというものではありませんでした。

家と家との結びつきという意味合いが強く、家柄が結婚に影響し、跡取りを残すことが最重要。

嫁は夫の家に入り、その家の一員として子どもを産み、家事をこなし、親の介護をして生きていくことが求められました。

女性の人生の中で
「私はどうしたいのか」
という個人の気持ちはそんなに大事ではありません。それよりも、
「家のために何ができるのか」
の方が、よほど大事なことだったのです。

戦後、法律上の家制度はなくなりました。
けれど、法律が変わったからといって、人の価値観まで一瞬で変わるわけではありません。
「家族のために生きる」
という価値観はその後も、残り続けました。

その象徴の一つが、『親孝行』という考え方だと思います。
親に育ててもらったのだから、
・恩を返す。
・親の期待に応える。
・親を安心させるような人生を送る。
・親が年を取ったら当然子どもが面倒を見る。

親孝行そのものは、もちろん悪いものではありません。
親を大切にしたいと思う気持ちも、人として自然なものです。

ただ
「親を悲しませてはいけない」という理由で自分のやりたいことに挑戦できなかったり、

「ここまで育ててもらったのだから、親の期待に応えなければ」
という気持ちから人生を決めているとしたら、
その子どもはある意味、コントロールされている状態とも言えるのです。

今、「毒親」という言葉が広がった背景には、こうした親からの
・親の理想の人生を生きて
・親を安心させて
・親のそばにいて
というコントロールによって、本来の自分の人生を生きることが出来なくなった子どもたちの苦しみが、浮き彫りになったことがあるのです。

以前なら、
「あなたのためを思って言っている」
「親の言うことを聞きなさい」
で終わることが出来ていました。

けれど今は、
「この人生を生きるのは誰なのだろう?」
という問いが、何より大切にされる時代になっています。

いつの時代も、親が子どもの幸せを願うことは変わらないのかもしれません。
でも、親が子どもの人生を決めることが出来た時代は、確実に終わったと言っていいでしょう。

親の期待に応える人生」から「自分の幸せを選ぶ人生」へ

「毒親」という言葉が登場したのは、
子どもには一人の人間として生きる権利がある
という感覚が、社会全体で強くなってきたからかもしれません。

私自身も、夫婦関係の悪化をきっかけに、カウンセリングを受けていた時期がありました。

自分との向き合いが深まる中で、ある時、母親からのコントロールがあったことに気付かされたのです。

それまでは、母からそこまでのコントロールされている自覚はなく、
親の期待に応えきれない自分を責め、もっと頑張らなければならないと、自分を追い詰めていました。

けれどカウンセリング後は
・母の思い通りになる必要はない。
・母の期待に応えないからと言って、親不孝をしているわけではない。

と考えられるようになりました。

母からの承認が得られなくても、
自分が幸せだと思う生き方を選んでいいんだ。

ここまで思えるようになったのは、アラフィフになってからのことです。

育ててもらったことへは、感謝しています。そして、
年老いた親のことも、負担にならない範囲で介護もしています。

でも、家族の中での役割よりも、個人としての幸せを大切にしていい。

この気づきは、私個人の人生観の変化であったと同時に
時代の価値観の変化でもあったのかもしれないと思うのです。

###これからの家族は「義務」ではなく「自分で選ぶ関係」へ

では、これから家族はどうなっていくのでしょう。
ここからは未来についての仮説です。

「家族だからやらなければならないこと」は、これから少しずつ減っていくのではないでしょうか。

介護や障害児の育児などを
家族だけで抱えるのではなく、
社会のサービスを使うことがもっと普通になり、
老後も子どもとの同居を前提にしないことがスタンダードになるでしょう。

今はまだ家族が担っている保証や手続きなども、将来は社会の仕組みで代替される部分が増えていくかもしれません。

そうなったとき、
「家族とは何なのか?」という問いが、今まで以上に大きくなります。

夫婦、親子だから、家族なのでしょうか?
親の介護をするから、家族なのでしょうか?
同じ家に住んでいるから、家族なのでしょうか?
同じ名字だから、
血がつながっているから、家族なのでしょうか?

そういった役割や条件を一つずつ取り除いていったとき
最後に残るものは、
その人の人生が幸せであってほしいという気持ち
だけが、人と人を結びつける、新しい家族の形になるのかもしれません。

親だから仕方なく、そういう役割だから世話をするのではなく、
会いたいから会う。

子どもだから親孝行をするのではなく、
幸せであってほしい想いがあるから、話をする。

「家族だから」という我慢はもう、しなくてもよくなるのではないかと思います。

そうなるために今できることは、
家族との関係が苦しくなったとき、
「家族だから仕方ない」
と、犠牲になる過去の在り方をやめて行くこと。

その代わりに、
「私は、本当はこの人とどんな関係でいたいのだろう」
という素直な気持ちを大切にしていく。

近くで支えたい人もいる。
少し離れたほうが優しくなれる人もいる。
介護そのものは専門家にお願いしながら、時々会いに行くことでつながる。

親孝行をしたいなら、すればいいですし、
親孝行をしないからと言って、悪い人間になるわけではありません。

・距離を取る愛し方もある。
・親への感謝と、親の望む人生を生きることは別。

こんな感覚が、人々の中で当たり前のものとなって行きつつあります。

まとめ

家制度が弱まり、
「親孝行が美徳」という絶対的な価値観が揺らぎ、
「毒親」という言葉によって親子関係の中のコントロールが問題視されるようになった現代。

私たちは今、より
「個人としてどう生きるのか」
を問う時代の真ん中にいます。

その先にあるのは、
家族がなくなる未来でしょうか?
いいえ。むしろ、 
家族から義務や役割が剥がれ、本当の愛でつながっていく未来
な気がします。

もっと自由で、
もっと純粋な関係になって行けたら素晴らしいですよね。


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