一人で抱え込んでいませんか?
苦しい時ほど、人は一人で抱え込んでしまうことがあります。
夫の一言に傷ついた夜。
子どものことが心配で眠れない時。
介護している親の言葉に、心がすり減った時。
頭の中では、同じことが何度もぐるぐる回りますよね。
「私が悪いのかな」 「もっと頑張らなきゃ」 「でも、もう限界」 「どうしたらいいのかわからない」
一人で考え続けていると、 不安はどんどん大きくなります。
未来を悪い方へ想像して、 まだ起きていないことまで怖くなり、 心の中が迷路のようになってしまうのです。
「対話」は答えをもらうものではない
そんな時に大切なのが、 言葉にすること…つまり、「対話」です。
ただし、ここで言う対話とは、 誰かに答えを決めてもらうことではありません。
もちろん、友達に話して少し楽になることもあります。
けれど、悪気なく、
「不倫されたなら別れちゃいなよ」
「そんな親、放っておけばいいじゃん」
「気にしすぎだよ」
と、簡単に答えらしきものを言われて、
かえって苦しくなった経験はありませんか?
それは、本当の意味での対話ではないんですね。
対話とは、 心の中にあるものを言葉にして、 自分でも見える形にしていくことです。
誰かに正解を出してもらうためではなく、
自分の中にある愛や本音や願いを、
少しずつ掘り出していく時間を
「対話」というのです。
たとえば、最初は
「夫に腹が立つ」
という言葉しか出てこなかったとしても、
対話していくうちに、
「私は本当は、悲しかったんだ」
「わかってほしかったんだ」
と、自分の本音に気づいていくことがあります。
また、
「全部、相手の機嫌まで私の責任にしていた」
「私は休むことさえ許していなかった」
と、自分に厳しすぎていたことに気づくこともあります。
すると、次の小さな一歩が見え来る。
「今日はもう考えるのをやめて眠ろう」
「私は私の気持ちを大切にしよう」
対話とは、例えば宗教の大先生からお答えをもらって、
「こうすればいいんだ!」と結論づけることとは正反対の世界です。
世間の常識から、「これが正解です」
というものに従う道を歩むのとも、違います。
ただ、自分の絡まった心を、 ひとつずつほどいていく…
対話は依存ではなく
むしろ、自分を見失わないための自立した力なのです。
一人で耐え続けるのではなく、 言葉にしながら、 感情を整え、 本音に気づき、 次の一歩を見つけていく。
そんなふうに、対話しながら自分を整える生き方へ進むことができた時、 人は少しずつ、本当の意味での自立した幸せを感じられるようになります。
幸せは、 一人で我慢し抜いた先にあるはず、ありませんよね?
自分の心と丁寧に対話しながら、 本当の自分を見失わずに生きるところから始めませんか?