どうして私だけ?不公平な現実に心が折れそうなときの対処法

コラム

子育てや介護、不倫、病気などで「どうして私だけ?」と苦しんでいませんか。人生には公平な答えがないからこそ、無理に意味を探したり自分を責めたりする必要はありません。心を楽にする3つの考え方と、重すぎる荷物を降ろすための現実的な対処法を解説します。

子育て・介護・不倫・病気——「どうして私だけ?」と思う

子育てをしているママが、夫を見てこう思うことがあります。

「どうして私だけ、自由に遊びに行けないの?」

夫は子どもが生まれても、仕事へ行き、飲みに行き、休日には自分の予定を入れられて、それほど生活が変わらない。

一方、妻は、出かけるにも子どもの預け先を考えなければならない。
夜泣きや食事、予防接種、園や学校の予定まで、いつも頭の中は子どものことでいっぱい。

社会から置いていかれたような気持ちになることもありまふよね。

そんな中で、
「どうして私だけ、人生が変わってしまったの?」
と感じるのは、あなただけではありません。

介護をしている人も、同様のことが言えるかもしれません。
きょうだいは他にもいるのに、なぜか自分だけが親の日々の世話をしているのか?

病院への付き添い、買い物、手続き、本人の愚痴への対応など。

兄はたまに顔を出すだけなのに、
「兄もちゃんと来てくれて助かる」
と感謝される。

毎日支えている自分の苦労は、いつの間にか「やって当然」になっていて、
「どうして私だけ介護を背負っているの?」
そんな怒りが湧くのは、当然です。

夫に不倫された妻は、不倫された事実人苦しむと同時に

「どうして私が不倫されるの?」
「私が何か悪いことをしたの?」
「真面目に子育ても家事もしてきたのに」

自分よりずっとズボラに見える隣の奥さんが、夫から愛されて幸せそうにしているを見て

家族のためにがんばってきた自分が、裏切られたのを理不尽に思う。

「私だけが、どうしてこんな目に遭うの?」
と一度は必ず考えるでしょう。

病気になったときも、同じです。

食べ物にも気をつけて
健康を考えて
人の迷惑にならないように生きて来たのに
それでも病気になることがあります。

「どうして私なの?」
「何のために、今まで気をつけてきたの?」
そう思って、納得が行かないのではないでしょうか?

人は、苦しい出来事が起きたとき、苦しみそのものだけでなく、
「なぜ私なのか」
という答えの出ない問いによって、さらに苦しくなるのです。

人生には公平な答えがない

私たちは心のどこかで、

真面目に生きていれば、ひどい目には遭わない。
人に優しくしていれば、自分も大切にされる。
家族のためにがんばれば、幸せな家庭になる。
健康に気をつけていれば、大きな病気にはならない。

そう信じています。

けれど現実には、努力と結果が釣り合わないことが多々起こって来ます。

きちんと子育てしている人に、負担が集中する。
責任感のある人だけが、介護を背負う。
家族を大切にしてきた人が、不倫で裏切られる。
健康に気をつけてきた人が、病気になる。

だから、つらい。
「こんなにがんばってきたのに」という思いと、現実があまりにも釣り合わないことに、人は苦しむのです。

私自身も、夫婦問題、子育て、家族の介護を担う中で、

「なぜ、これを私だけが背負っているのだろう」
と思うことが何度もありました。

現実的に、客観的にみても理不尽なこともたくさんあったからです。

そのように、
「どうして私だけ?」と思った時に、

「人と比べてはいけない」
「感謝が足りない」
「すべてに意味がある」

と、無理に納得させようとする言葉もありますよね。でも、そう思おうとすることで、余計に苦しくなることもありました。

不公平なものは、不公平。
納得できないことを、きれいな言葉で誤魔化すのには、限界があると思います。

「どうして私だけ?」という気持ちを楽にする3つの考え方

1.「私が悪いから」と結びつけない

まず、不倫をされる理不尽から考えてみましょう。
不倫されたのは、妻の家事や子育てや妻の優しさが足りなかったからとは限りません。

夫が不倫することを選んだ責任は、夫にあります。

病気になった原因もそうです。

病気になったからといって、それまでの生き方が悪かったとは言えません。

子育てや介護の負担が偏っているのも、あなたの何かが劣っているとか、他に何もできないからではありません。

苦しい出来事が起きると、人は原因を自分の中に探そうとします。

けれど、「なぜ起きたのか」と「誰が悪いのか」は、別の問題であることがほとんどです。

2.すぐに「意味」を見つけようとしない

「この経験には意味がある」
「魂の成長のために必要だった」
「いつか、この経験に感謝できる」

確かに、そう思える日が来ることもあります。

けれど、苦しみの真ん中にいるときに、無理に意味を探すのは、時につらさを倍増させることがあります。

つらいものは、つらい。
悔しいものは、悔しい。
納得できないものは、納得できないのです。

その気持ちを十分に感じたあとでなければ、本当の意味で前を向くことはできません。

苦しんでいる自分に、

「そう思うよね」
「よくここまでやってきたね」

と寄り添うことの方が、先なのです。

3.苦しみで狭くなった視野を、少しずつ広げる

人は苦しいとき、視野が狭くなっています。

それは性格の問題ではなく、自分を守ろうとする心の自然な働きでもあります。

子育て中なら、
「夫だけが自由で、私だけが取り残されている」

介護中なら、
「きょうだいの中で、私だけが犠牲になっている」

不倫されたときは、
「幸せそうな奥さんもいるのに、なぜ私だけが苦しめられるのだろう」

病気になれば、
「健康な人たちが普通に暮らしている中で、私だけ人生を奪われた」

と、目の前の苦しみが世界のすべてのように感じられます。

そんなときに、

「もっと大変な人もいる」
「恵まれていることに感謝しよう」

と考えても、心は楽になりません。

それは視野を広げることではなく、自分の苦しみを小さく扱うことになってしまっているからです。

本当に視野を広げるとは、今の苦しみを否定せずに、

「これは、私の人生の全部ではなく、今起きている一つの出来事」

「私は、この役割を一生続けなければならないわけではない」

と、少し離れたところから自分の人生を眺めてみることです。

子育てで自由がないなら、母親だから仕方がないと諦めるのではなく、

「一人で出掛けられる時間を、どうすればつくれるだろう」

と考えてみる。

介護を一人で背負っているなら、

「私がやるしかない」
と思い込まず、

「きょうだいに頼むなら、どの仕事を具体的に頼めるだろう」
「家族以外の支援を使えないだろうか」

と、家族の外まで視野を広げてみる。

不倫されたなら、
「不倫相手より私が劣っているから」
と考えるのではなく、

「夫の不倫は、女としての価値を決めるものではない」
「私は、夫の言動によって自分の価値まで決めなくていい」

と、夫婦関係と自分自身の価値を切り離して考える。

問題は、確かに人生の一部ですが、問題だけが自分の人生ではありません。

「どうして私だけ?」と思ったときは、今いる場所だけを見て、人生のすべてを決めないことです。

今日答えが出なくても、この先ずっと答えが出ないとは限りません。

視野が広がると、
「この出来事だけで、私の人生は決まらない」
「ここから選び直せることが、まだある」

と少しずつ思えるようになります。

その小さな余白が、心を楽にし、次の一歩を見つけるきっかけを見出します。

心を楽にするために。

考え方を変えると同時に、
現実的に、今あなたに偏っている負担がないか?点検してみることも大切です。

「どうして私だけ?」と思うのは、今ある心の荷物が、重すぎるという自分からのサインかもしれません。

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